それは本当にささやかなことから始まります。 先日こんなことがありました。それは「サウダーヂ」製作のために、一年ほど前から始めたリサーチ(ビデオカメラを持って甲府に住む色々な人に会いに行く)の道中出会った日系ブラジル人とのエピソードでした。駐車場を借りに行った彼に対し、その駐車場の管理人はいきなり、最近その駐車場で起こった車上荒らしのことを話し始めました。その犯人はペルー人だったようですが、日系ブラジル人の彼にしてみれば濡れ衣なわけで、必死に自己弁護しました。が、その管理人にとってはその自己弁護すら「こわい」ということになってしまい、結局彼は駐車場を借りることができませんでした。彼をよく知る私たちにとってみれば、なんのことだかわからないですが、偏見や誤解が入り混じっているのは理解できます。しかし、偏見や誤解は関わる事でしか解消することはできません。その後、私たちが間に入り、そしてその管理人のご老人も彼に謝罪をし、誤解は解けました。まずは交わらなければ問題が表面化すらしないものです。そしてこのささやかなやり取りが、今後への非常に大きな一歩になったことはいうまでもありません。
一年近くのリサーチの中で、甲府という場所に多くの外国人たちが住んでいることを知りました。なかでもブラジル人達のコミュニティーは非常に規模も大きく、甲府を題材に映画を作るにあたって、無視できない存在になっていきました。 かつて、100年ほど昔、日本人は開拓移民としてブラジルに渡りました。想像を絶するような苦労があったことでしょう。しかし恐らく、彼らブラジル人達が日本人を受け入れてくれたからこそ、その子孫たちが現代の日本に戻ってくることに繋がっていると思うのです。その彼らに対して、どれだけの日本人がそういう歴史の認識を持ち接しているのでしょうか。 日系3世、4世になろうとする彼ら世代の故郷は、もはや生まれ育ったここ日本であり、甲府なのです。彼らと話すとわかります。むしろ彼らの方こそ、新天地であり故郷である甲府に対してのサウダ−ヂを感じて生きているのです。そしてその場所は同じく私たちの故郷でもあります。故にタイトルをポルトガル語にすることで、その思いを私たちも取り戻さなければいけないという戒めとしました。
その戒めとともに題材も深まっていきます。 “サウダーヂ”にはもうひとつ「追い求めても叶わぬもの」という意味がありました。いくらここを何とかしなくてはと思っても、かつての状態に戻す事ばかりが議論の根底にあるような気がしてなりません。映画作品も悪戯に過去への郷愁を誘うものが目立ちます。昔はよかった、と。2時間昔に戻っても、映画館を出てしまえば現在の現実の世界が待っています。私たちの映画は少なくとも逃避のためのものではなく、苦しく厳しいが、それでも生きていかなくてはいけない、ならば、より良く生きるのだ、という意志に基づくものだと考えています。